「将棋をはじめて、明るくなった」引っ込み思案だった山根ことみ女流初段が変わったきっかけ【女流棋士とデザート】
ローソンのデザートを食べながら、和やかな雰囲気で女流棋士にお話を聞くこのシリーズ。今回は発売から3日間で販売数100万個を突破した「BASCHEE(バスチー)」を、山根ことみ女流初段に食べていただきながらのインタビューです。引っ込み思案だった自分が将棋をはじめてから明るくなれたことや、地元・愛媛から東京に出てきて気づいたことなどをお話いただきました。
1日中遊んでいた「愛媛のお気に入りの場所」とは
――今回は、大人気のローソンデザート「BASCHEE(バスチー)」をご用意させていただきました。
わあ、嬉しいです! 最近チーズケーキがマイブームで、毎日のように朝食として食べているほどなので(笑)。早速、いただきます!
――レアでもベイクドでもない新食感チーズケーキなのですが、いかがですか?
おいしいです! とてもしっとりとした食感なんですね。しっかりチーズ感もあって。これ、全部食べちゃっていいんですか?
――もちろんです。「BASCHEE(バスチー)」を食べるのは、はじめてなんですね!
ずっと食べたいと思っていたのですが、タイミングが悪いのか近所のローソンではなかなか見つけられなくて‥‥。明日愛媛に帰るんですが、愛媛のローソンで探してみようと思っていたところでした(笑)。
――ご実家、愛媛なんですよね。昨年6月に関西から関東へ所属を移されたとのことですが、東京はもう慣れましたか?
慣れ過ぎたと言いますか、愛媛に帰るとちょっと落ち着かないぐらいです(笑)。
――落ち着かないのは、どうしてでしょう?
愛媛に帰ると、やることがないんですよね。親に甘えて、ダラダラしちゃいますし‥‥(笑)。あと、どこに行くにも車移動なのですが、私は免許を持っていないので、誰かに連れていってもらわないと行きたい所に行けないんですよ。東京だったら一人でもフラっと行けちゃうので、今はそっちの方が当たり前になっちゃいました。
――地元が恋しくなったりしないですか?
自然豊かな場所だったので、気持ちや身体が疲れてくると自然が恋しくなることはありますね。祖父が山を持っているのですが、東京の人で言うところの「東京ディズニーランド」が、私にとっては「祖父の山」っていうぐらい1日中遊べる楽しいところだったんですよ!
――すごく楽しそうにお話されますね(笑)。
野生の動物もたくさんいるし、本当に大好きな場所なんです! 自然に囲まれているのが当たり前だったので、東京に来てからもお休みの日は自然が多い川沿いを散歩したり、動物と触れ合うために猫カフェに行ったり。そういう時間を持つことで、心を落ち着かせています。
引っ込み思案だった山根女流初段が変わったきっかけ
――どうして東京に出ようと思ったんでしょうか。
将棋が強くなりたい、というのが最も大きな理由です。愛媛にいると、誰かと将棋を指す機会がほとんどなくて‥‥、今年4月にプロ入りした黒田尭之四段が唯一の相手だったのですが、ずっと私の相手をしてくれるわけでもないですからね。その結果、1カ月に1局も対局ができないこともあって。
――そうなると、ネットで将棋を指すだけ‥‥みたいな日々が続く感じですかね。
うーん、私にはあまりネット将棋が合わなくて、ネットでも指さないし人間とも指せない‥‥という日々で。イベントや聞き手などのお仕事もほとんどなかったので、愛媛にいる間は家に引きこもってばかりでした。人と話す機会すら少なくて‥‥、家でハムスターと会話するぐらいですかね(笑)。
――東京に出てきてからは、変わりましたか?
たくさんの人と将棋を指せるようになったので、それが今すごく楽しいです。それと、東京に来ていろんな人と指すようになってから、序盤の指し方をもっと勉強しなければならないと強く実感しました。やはり誰かと指すことで、自分にとって足りない部分が見えてきますね。
実は、もともと小学生の頃から東京の将棋クラブにお世話になっていたので、東京には知り合いも多いんです。
――愛媛にお住まいだったのに、東京の将棋クラブに?
はい。小学生の時にアマチュアの大会に出たのですが、全国大会が東京で開催されていたので、その期間は東京の将棋クラブでお世話になっていました。
――小学生の頃の話も含め、山根女流初段が将棋を始めたきっかけについてもお聞きしたいのですが、いつから将棋を始められましたか?
小学4年生の夏です。幼馴染が将棋好きで、小学生の頃にその子から「将棋の団体戦に一緒に出ない?」と誘われて。
父や祖父が指しているのを観ていたのでルールはなんとなく知っていたし、やってみたいなと思ったのですが、当時習っていた空手の試合と日程がかぶってしまったので応援にだけ行きました。その時に、武市三郎七段の指導対局を受けて「将棋っておもしろい!」と思ったんです。
――その幼馴染に誘われてなかったら、将棋を始めてなかったかもしれないですよね。
そうですね。ちなみにその幼馴染もまだ将棋を続けています。東大将棋部の藤岡隼太さんという人で、藤井聡太七段とも対局したことがあるんですよ。私が将棋を始めるきっかけをつくってくれた人で、本当に感謝しています。
将棋を始めてからは、頭の中がもう将棋でいっぱいで、ひたすら毎日将棋だけをやっていました。小学6年生の頃には「将棋の仕事をしたい」と思い始めて、自然とプロを目指すようになったんです。
――将棋をはじめてからのめり込んでいったとのことですが、将棋のどんなところに魅力を感じていましたか?
自分を変えてくれたところ、です。
――将棋が、山根女流初段を変えてくれた。
はい。それまでは本当に暗い子どもで、引っ込み思案で、あまり人と喋れなかったんです。でも、将棋の道場にはじめて行った時に「挨拶しなさい」と言われてから、次第に挨拶が習慣になり、そこから段々と会話できるようになっていきました。将棋をはじめたおかげで性格が明るくなったのが、自分でもわかったんです。
――挨拶ひとつで、それほど変わっていくものなんですね。
挨拶の習慣がきっかけになりましたが、「好きだ」と思えるものができたことも大きく影響していると思います。大好きな将棋を通じて成長したり、大会で勝ったりしたことで、自信を持てるようになって。
――自信がついたおかげで、性格も明るくなっていった。
そうです。普段の生活での行動も変わってきて、学校の授業で手を挙げたり、実行委員に立候補したりするようになりました。将棋をやっていなかったら、暗い自分のままだったんじゃないかな(笑)。
「こういう歳のとり方をしたい」刺激を受ける憧れの人
――今、目指している女流棋士像はありますか?
里見香奈女流五冠や清水市代女流六段に憧れています。将棋の強さはもちろんですが、将棋以外の礼儀などの面も、見ていて勉強になることばかりです。自分もそこを目指していきたいな、と。
あと、人間として、祖母のことをすごく尊敬しています。祖母は陶芸をしているんですが、70歳を超えた今でも新しい作品づくりに挑戦しているんです。作品展に出すことなど目標が今でもあって、すごくキラキラしている祖母のことを見ていると「こういう歳のとり方をしたいな」と思います。祖母と話すと「私も自分の将棋をどんどん進化させたい」と強く刺激を受けますね。
――具体的に、これからやってみたいことはありますか?
将棋をもっと勉強したいです。実は私、将棋を始めてからずっと四間飛車という戦法しか指していないんです。他の戦法について全然知らないまま、ここまできてしまったので‥‥。このままではダメだと気づけたので、私も変わらなきゃいけないと思っています。
――これから、まだまだ進化していくんですね。
もっとちゃんと将棋のことを勉強して、知らないことを吸収して、戦法を増やして。自分が変わる努力をして、ひとつでも多くの対局で勝って、もっとたくさんの方に私の将棋を見てもらえるように頑張りたいと思います!
まとめ
「理想の姿があるのに、自分の変化が追いつかなくてもどかしい」と一瞬悩んだ表情を見せつつも「でも、ここを超えたら成長できるとわかっているので、ひたすら前に進みます」と笑顔で話してくれた山根女流初段。やわらかい雰囲気のなかに力強さを感じたインタビューでした。また、「BASCHEE(バスチー)」を差し入れてくれたローソンクルーのあきこちゃんには、素敵なメッセージをいただきましたよ。
ローソン×日本将棋連盟 コラム
ライターマツオカミキ
2014年からライターとして活動する平成元年生まれ。28歳にして初めて将棋に触れました。将棋を学びながら、初心者目線で楽しさをお伝えします!普段は観光地や企業、お店を取材して記事を執筆中。
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