「妖精たちの森」(1971)をU-NEXTで視聴
https://video.unext.jp/title/SID0057940?utm_source=com.apple.UIKit.activity.CopyToPasteboard&utm_medium=social&utm_campaign=nonad-sns&rid=P0001914997『妖精たちの森』
『妖精たちの森』
解説:「回転」としても映画化されたヘンリー・ジェームズの『ねじの回転』の前日談を描くM・ウィナーの意欲作。両親を事故で亡くした幼い姉弟が暮らす田舎の屋敷。下男のクイントは無学で野卑な男だったが、二人にとっては良き理解者だ。力ずくで犯した家庭教師のジェスルと次第に愛を深めていくクイント。だが屋敷の実権を握る老家政婦が二人の仲を裂こうとした時、姉弟は二人を永遠に結ばせようとする……。
ロンドン郊外、大地主であるブライ邸では、後見人(ハリー・アンドリュース)が、家政婦グロース(ソーラ・ハード)に屋敷の主人亡き後の指示をして去る。
多感なお年頃のフローラ(ベロナ・ハーベイ)とマイルズ(クリストファー・エリス)姉弟の相手をするのは「猿の相手をするに等しい」と嫌う後見人は、姉弟に彼らの両親の事故死を伝えず、姉弟の世話をそれまで通り、グロースと美しい家庭教師ジェスル(ステファニー・ビーチャム)に任せると。唯一の男手である下男のクイント(マーロン・ブランド)は、後見人のお情けにより屋敷に留まる事を許された。
野蛮人を絵に描いたようなクイントは、自然の森の中で姉弟とよく戯れ、良くも悪くも姉弟はクイントの影響を受けて育ち、学んでいく。
そんなクイント、品格を重んじるグロースとはそりが合わず、ジェスルもクイントを不潔な男と表向きは蔑んでいるかのように振る舞っている。しかし、夜になるとジェスルはセックスアニマルと化すクイントの性奴隷と立場が逆転しているのですよ・・・フフフ(笑)・・・。
(この作品の原題『The Nightcomers』)
まるで団鬼六のような縄縛りにまで発展するクイントとジェスルの性戯を覗き見るマイルズ(爆汗)・・・。
やはり森の中で“極端な形”を見て学ぶ姉弟は、盲目的に信頼できる大人(クイントとジェスル)の関係をあまりにもピュアに“愛”だと捉えたときに、引き裂かれようとする大人たちの想いを、これまた極端な形で成就させようとしてしまう・・・という童心が恐ろしいという、とても奥深いスリラー映画でした。
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イギリスの田舎の中で大地主の子供として厳格な教育を受けるはずの姉弟は、カエルにタバコを吸わせるような下男のクイントを、一番信頼できる存在として慕っているから、姉のフローラは目玉のない少女人形を抱き、弟のマイルズはカメを横倒しにしたまま寝るというルーティンを確立している(爆汗)・・・。
そんなクイントを、上品な女性陣二人は良く思っていない・・・ように見える。
特に典型的なインテリおばさんのグロースは、無学で教養のないクイントは姉弟にとってマイナスでしかないと考えている。
そんなグロースが、なぜか大きな蛆虫に好かれているところは笑える。
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真夜中になると、屋敷に侵入したクイントは、強引にジェスルを抱く。
基本的にサディスティックなクイントの性戯は回を重ねる毎に激しくなる。
面白いのは、まだセックスがよくわかっていない姉弟は、翌朝になるとクイントの真似をして縄プレイに耽る(超爆)・・・。
“ソコ”に限らず、ちりばめられた小さな伏線が後半に活きるのはお見事。
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ジェスルを演じたステファニー・ビーチャムの裸体がアンバランスな巨乳で凄いんですが、あんまりエロくない。
あくまでも品の良さをジェスルが崩さないから。
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ボサボサ頭でメタボおやじのマーロン・ブランドを見ていると、最初は誰もが生理的嫌悪感を抱くと思うんですよ(汗)・・・。
ところがですね、まるで姉弟の本当の友人のように、共に遊び心を通わせるクイントもまたピュアでね。
要はクイント、子供に好かれる話の面白いおっちゃんなんです。
昭和で言うところの、「腕白でもいい。逞しく育ってほしい」という丸大ハムのノリやからね(笑)・・・。
そういうクイントが段々魅力的に見えてくるからマーロン・ブランドはカッコいい。
そんなクイントは遊びの中で、勉強では教えてもらえない、深く大切な言葉を姉弟に浴びせる。
「大嫌いという事は、大好きでもあるのさ」、「生きるって事は痛みと苦しみなんだ」、そして、「もし誰かを本気で愛してしまったら、その人を殺したくなる時もある」・・・とかね。ジェスルを弄ぶときは「道端のメス犬め!」なんて叫んでる、同じ口で語る(超爆)・・・。
ハイ!
ここからはネタバレに触れます。
観覧は自己責任で。
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サディスティックなセックスも含めて、姉弟はクイントとジェスルの行為すべてを「愛」だと解釈する。
事実、クイントとジェスルは愛し合うようになっていた。
家政婦グロースはクイントを追いだしにかかり、関係を知られたジェスルはブライ邸を去ろうとする。
しかし、姉弟の計画により、クイントとジェスルは最悪の結果を迎える。しかしそれは、クイントが姉弟にほのめかした本当の愛が成就した形だった。
ピュアが猛烈に恐ろしい。
この映画、動画が字幕付きでアップされていたのですが、大好きな職人監督マイケル・ウィナー作なのでチョイス!
見る前は暗いエロ風味のサスペンスドラマやと思ってたんですが、サム・ペキンパー作品などでお馴染みのジェリー・フィールディングの音楽効果もあって、まるでお昼前の料理番組のような明るさも持ち合わせているんですよね。
妖精たちの森
二十世紀初頭、イギリスの田園風景の中にそびえ立つ大邸宅に住む人間たちが織りなす相剋のドラマ。原作はヘンリー・C・ジェームズの「ねじの回転」で、一九六一年のデボラ・カー主演、ジャック・クレイトン監督「回転」に続いて二回目の映画化。製作総指揮はジョゼフ・E・レヴィン、製作・監督は「チャトズ・ランド」のマイケル・ウィナー、脚本はマイケル・ヘイスティングス、撮影はロバート・ペインター、音楽はジェリー・フィールディングが各々担当。出演はマーロン・ブランド、ステフアニー・ビーチャム、ソーラ・ハード、ハリー・アンドリュース、ベロナ・ハーベイ、クリストファー・エリスなど。
早春のある日、ブライ邸の応接間では、これからロンドンにでかけようとするこの屋敷の後見人(H・アンドリュース)が家政婦のミセス・グロース(T・ハード)に、今後の指示を与えていた。このブライ邸はロンドンの郊外に広大な領地を持つ大地主だったが、幼い姉弟、フローラ(V・ハーベイ)とマイルズ(C・エリス)の両親はインド滞在中、自動車事故で死亡したため、姉弟が財産を管理できるようになるまで、伯父が後見人になっているのだ。両親の死は、まだ二人に知らされていなかった。後見人がロンドンに立ったあと、この広大な邸には、姉弟と、家庭教師のジェスル(S・ビーチャム)、ミセス・グロース、下男のピーター・クィント(M・ブランド)の五人が残された。クィントは無知で粗野であり、後見人には嫌われていたが、屋敷内でただ一人の男性ということで、辛うじて首がつながっていた。しかし、幼い子供たちにとって、クィントの占める地位は大きかった。外での遊びはすべてクィントに教えられ、実生活での知恵もすべて彼によるものだった。従って、二人はクィントのいうことを盲目的に信じて行動していた。その迷信のような知恵はときとしてミセス・グロースを困らせた。だが、それだけならまだしも、クィントは乱暴で邪悪な心の持主だった。家庭教師のジェスルは、ある晩、クィントに犯され、以来肉体関係をしいられ続けてきた。心ではクィントを憎悪しながらも、夜ごとの侵略を拒みきれず、いつの間にか愛欲の世界に溺れていた。その上、クィントはサディストだった。ある日、たまたま寝室をのぞき見したマイルズは、二人のからみ合う姿を目撃し、それがどういうことかとも判らないまま、姉のフローラをさそってクィントとジェスルの真似をするようになった。こうした好奇心のかたまりのような子供たちの言動はクィントとジェスルを追いつめていった。教会の墓守として、貧しいが誠実な父の許で育てられたジェスルは罪の意識にさいなまれ、一日として心の安らぐ日がなかった。二人の関係はミセス・グロースに知られてしまい、烈火のごとく怒った彼女のためにクィンドは出入禁止にされてしまった。グロースに問いつめられて自分の罪を恥じたジェスルも、この屋敷を去る決心をした。そんな彼女のもとにクィントからの手紙が届いた。別れる前に一度あいたいので、庭にある池のそばまできてくれというのだ。これが子供たちの計略とも知らず、池に浮いていたボートに乗ってこぎ始めた。そのボートは子供たちの手によって穴があけられていたためにたちまち沈みだし、泳げない彼女は溺死した。一方、クィントもさそいだされ、池の中に浮かぶジェスルを発見した。呆然として森をさまようクィントの胸に、マイルズの放った矢がつきささった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%A0
ステファニー・ビーチャム
ステファニー・ビーチャム Stephanie Beacham | |
---|---|
2009年9月 | |
生年月日 | 1947年2月28日(75歳) |
出生地 | イギリス・バーネット |
職業 | 俳優 |
ジャンル | テレビ、ラジオ、映画、舞台 |
活動期間 | 1967年 - |
配偶者 | ジョン・マケナリー(1973-1979)[1] |
公式サイト | 公式ウェブサイト |
主な作品 | |
『コルビーズ(英語版)』 『ダイナスティ』 『シスター・ケイト(英語版)』 『ビバリーヒルズ高校白書』 『シークエスト』 | |
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ステファニー・ビーチャム(Stephanie Beacham、1947年2月28日 - )は、テレビ、ラジオ、映画、舞台などで活動するイギリスの女優である。BBCのドラマ『Tenko(英語版)』(1981-1982)、ITVのドラマ『コニー(英語版)』(1985)、ABCの昼ドラ『コルビーズ(英語版)』(1985-1987)と『ダイナスティ』(1985、1988-1989)のセイブル・コルビー(英語版)役などで知られる。映画への出演は『ドラキュラ'72』(1972)、『スキゾ(英語版)』(1976)、『トゥループ・ビバリーヒルズ(英語版)』(1989)などがある。
ビーチャムは1967年にイギリスのテレビに出演し始め、1970年に『栄光への賭け(英語版)』で映画デビュー。1971年の映画『妖精たちの森(英語版)』ではマーロン・ブランドと共演。NBCのシチュエーション・コメディ『シスター・ケイト(英語版)』(1989-1990)ではゴールデングローブ賞にノミネートされた。その他のテレビ出演にはITVのドラマシリーズ『バッド・ガールズ(英語版)』(2003-2006)、ITVの長寿ドラマ『コロネーション・ストリート』(2009)、Sky Oneのコメディ『Trollied』(2012)などがある。
生い立ち
ビーチャムは、ロンドンのバーネットで主婦のジョーンと、保険会社の役員でグローヴナー・エステートの理事を務めていたエイリックの間に、4人兄弟のひとりとして生まれた[2][3]。バーネットのクイーン・エリザベス女子校(英語版)に通い、その後エティエンヌ・ドゥクルー(英語版)からパントマイムを学ぶためパリ近郊のブローニュ=ビヤンクールに進み、ロンドンの王立演劇学校(RADA)に入学した[4]。
経歴
ビーチャムの当初の目標は、耳の不自由な子どもたちにダンスを教えることであったが、モデルとして仕事を始め、それからテレビに出演するようになった。1967年、スクリーンで初めて演じたのは、BBCの『女王の裏切り者(英語版)』のメアリー役であった。バーネットでは面白くなさそうだと考えたのか、ノーザン・エコー(英語版)の記者に、自分の好きなハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンの映画の舞台であるカサブランカの生まれであるとインタビューで答えていた[2]。『セイント 天国野郎』、『カラン(英語版)』、『謎の円盤UFO』などに多くゲスト出演した後、1970年に公開されたマイケル・ウィナー監督の『栄光への賭け』とロディ・マクドウォール監督の『タム・リン(英語版)』で映画に初出演した。1971年の『妖精たちの森』ではマーロン・ブランドと共演し、再びウィナーと仕事をすることとなった。作中にはヌードシーンがあり、その撮影中、ブランドはウィナーが必要以上に低いアングルで撮影しないように、寝具の下でブリーフとウェリントン・ブーツを着用していた。ブランドとはデートをする関係にあったが、これは共演に向けて親しくなっておく意図があったと語っている[5]。この時期はホラー映画への出演が多くあり、ハマー・フィルム・プロダクションの『ドラキュラ'72』ではジェシカ・ヴァン・ヘルシング役でピーター・カッシングやクリストファー・リーと共演した。
その後も映画、テレビ、舞台への出演は続いた。ノッティンガム・プレイハウス(英語版)では、ヘンリック・イプセンの『人形の家』のノーラなど、いくつかの主要な役を演じた。1973年にはテムズ・テレビジョン(英語版)のドラマ『マークト・パーソナル(英語版)』でジョージナ・レイトンを演じた。同じ年、イタリア映画『Si può essere più bastardi dell'ispettore Cliff?』に出演。この映画は1977年にアメリカでは『Mafia Junction』、イギリスでは『Blue Movie Blackmail』として公開され、後にジョーン・コリンズの映画『ザ・ビッチ(英語版)』のヒットに乗じ、『スーパー・ビッチ』とタイトルを変えて家庭用ビデオでリリースされた。またホラー映画にも出演し続け、『And Now the Screaming Starts!』(1973)、『魔界神父(英語版)』(1975)、『スキゾ』(1976)、『悪魔の受胎』(1981)などに出演。ビーチャムはこれらについて、出演料のために受けた仕事だと述べている[6]。
1981年から1982年にかけて、シンガポールの戦いによって捕虜となった女性たちを描いたBBCのテレビシリーズ『Tenko』に端役で出演。その後も舞台やテレビでの活躍が続き、ITVのドラマ『コニー(英語版)』(1985)では主演を果たした。『Tenko』や『コニー』への出演が足がかりとなり、テレビシリーズ『コルビーズ』(1985-1987)では狡猾な家長セイブル・コルビーを演じ、代表作のひとつとなった。『コルビーズ』は、その年にアメリカで最高視聴率を記録した人気番組『ダイナスティ』のスピンオフ作品である。ビーチャムはチャールトン・ヘストンの相手役として、この新番組の看板カップルに起用された。『コルビーズ』は本家ほどのヒットには至らず、2シーズンで打ち切りとなった。しかし1988年、ビーチャムは『ダイナスティ』のセイブル役に再び招かれ、ジョーン・コリンズと「女の闘い」を繰り広げるシナリオで共演した[1]。
1989年に『ダイナスティ』が打ち切りとなった後、ビーチャムは子ども向けファンタジー映画『ウィロビー・チェイスのおおかみ』で主役を務め、邪悪な家庭教師を演じた。その後、アメリカのコメディ『シスター・ケイト』で、孤児院の子どもたちの世話をするシスターとして主役を演じた。この作品は1シーズンのみで終了となったが、ビーチャムはこの役でゴールデングローブ賞にノミネートされた。その後イギリスに戻り、ボードゲーム『クルード(英語版)』のテレビ版(ITV)でエリザベス・ピーコックを演じた。『ダイナスティ』のプロデューサーであったアーロン・スペリングと再会し、若者向け人気ドラマ『ビバリーヒルズ高校白書』に出演。ルーク・ペリーが演じるディランと疎遠になった母親・アイリス・マッケイを演じた。ビーチャムはスペリングが制作した6つのテレビシリーズ『ダイナスティ』、『コルビーズ』[7]、『ラブ・ボート(英語版)』、『ビバリーヒルズ高校白書』、『新・バークにまかせろ(英語版)』、『チャームド 〜魔女3姉妹〜』などに出演した。1993年には、スティーヴン・スピルバーグ制作のSFシリーズ『シークエスト』に出演し、ドクター・ウエストファレンを演じることとなった。ウエストファレンは潜水艦シークエストの主任海洋学者および医師という役であったが、第1シーズンのみで番組を降板した。1990年代を通じてテレビ番組へのゲスト出演を続け、イギリスとアメリカ双方で活動した。1996年には、戦時中を舞台としたBBCのドラマ『No Bananas』に出演した。
2003年、イギリスに戻り刑務所を扱ったITVのドラマ『バッド・ガールズ』に出演。受刑者のフィル・オズウィンを演じ、ベヴ・タル(アマンダ・バリー(英語版))と組んで「コスタ・コンズ」と呼ばれ、2006年のシリーズ完結まで4年間出演し続けた。2006年、ギルフォードで上演された舞台版『白雪姫』では邪悪な魔女を演じ、その翌年も『ジャックと豆の木』の舞台に出演した[8]。2006年の映画『私の婚活恋愛術(英語版)』に出演。舞台での仕事に戻り、ノエル・カワードの作品『花粉熱(英語版)』では主役としてツアーでイギリスを回った。その後、2007年にプロダンサーであるヴィンセント・シモーネ(英語版)と組んでBBCの『Strictly Come Dancing』に出場したが、早々に(著名人14人の中では2番目)敗退してしまった。
2008年11月27日、ビーチャムがITVの『コロネーション・ストリート』で、ケン・バーロウ(ウィリアム・ローチ(英語版))に想いを寄せるマーサ・フレイザー役で出演することが発表された[9][10]。初登場は2009年1月26日で、5月4日が最後の登場となった。
2010年1月3日、チャンネル4の『セレブリティ・ビッグ・ブラザー(英語版)』第7シリーズにハウスメイトとして参加し、女性では唯一最終話まで残り、最終的には5位であった。2月17日、BBCの『マテリアル・ガール(英語版)』の最終話に出演。4月3日には同じくBBCの長寿ドラマシリーズ『カジュアルティ(英語版)』にゲスト出演した[11]。その後、2010年から2011年にかけて上演された舞台『マスター・クラス(英語版)』のイギリスツアーでは、マリア・カラス役で主演を務めた。
2011年10月、ビーチャムは自叙伝『Many Lives』を発表し、それまでの人生とキャリアを語った。この本では『コロネーション・ストリート』で共演したウィリアム・ローチが前書きを寄せている[12]。2012年、スニッカーズのテレビコマーシャルで『ダイナスティ』で共演したジョーン・コリンズと再会したが、後に映像は編集され、ビーチャムの出演はカットされた。また、スーパーマーケットを舞台としたSky Oneのコメディ『Trollied』では、2012年8月から10月にかけて放送された8話に渡り、店長のロレイン・チェイン役で出演。同年、スカイ・リビング(英語版)の『マウントプレザント(英語版)』にパムおばさん役で3話出演した。
ビーチャムは、聴覚障害やその他の困難を抱える人々がクオリティ・オブ・ライフを維持するために必要な支援の提供を目的とした慈善団体の立ち上げに携わった[13]。2006年6月には、その発表のため議会にも出席した。2016年9月、BBCラジオ2のグラハム・ノートン(英語版)の番組に出演し、マーガレット王女役について語った[14]。『A Princess Undone』は10月にケンブリッジ芸術劇場(英語版)で上演され、「王室を敬愛する人々を嫌悪させるもの」だそうである[15]。2021年2月、ビーチャムの代理人で小説家のメラニー・ブレイク(英語版)は、イギリスで新たな昼ドラ『ファルコン・ベイ』を立ち上げるプランを発表した。制作権が確保できれば、ビーチャムがこのドラマに出演することを確認した[16]。
人物
ビーチャムには聴覚障害があり、生まれつき右耳は聴こえず、左耳も80%ほどしか聴こえていない[17][18]。
1973年に俳優のジョン・マケナリーと結婚し、その後すぐに妊娠したが、3か月で流産した。その死産した息子は火葬したとインタビューで明らかにしている。2人は1979年に別居したが、婚姻関係はその後10年以上続いた[1]。フィービー(1974年生)とクロエ(1977年生)という2人の娘がいる[2][5]。1980年代に、当時クリケット選手で後にパキスタンの首相となったイムラン・カーンと交際していた[19][20]。
2009年に皮膚がんの治療を受け、成功した。2011年に再発したが、これも回復した[21]。
長らくバーニー・グリーンウッドと同居しており、2014年に婚約した[22]。
出演
映画
公開年 | 邦題 原題 | 役名 | 備考 |
---|---|---|---|
1970 | 栄光への賭け The Games | アンジェラ・シモンズ | |
1970 | Tam-Lin | ジャネット・エインズレイ | |
1971 | 妖精たちの森 The Nightcomers | ミス・ジェッセル | |
1972 | ドラキュラ'72 Dracula A.D. 1972 | ジェシカ・ヴァン・ヘルシング | |
1973 | Super Bitch | ジョアン | |
1973 | And Now the Screaming Starts! | キャサリン・フェングリフェン | |
1975 | 魔界神父 House of Mortal Sin | ヴァネッサ・ウェルチ | |
1976 | Schizo | ベス | |
1981 | 悪魔の受胎 Inseminoid | ケイト | |
1989 | Troop Beverly Hills | ヴィッキー・スプランツ | |
1989 | ウィロビー・チェイスのおおかみ The Wolves of Willoughby Chase | レティシア・スライカープ | |
1990 | Harry and Harriet | クリスティン・ピーターセン | |
1996 | Wedding Bell Blues | ターニャの母親 | |
2000 | Relative Values | エリザベス | |
2002 | 夢見る頃を過ぎても Unconditional Love | ハリエット・フォックス=スミス | |
2002 | Would I Lie to You? | アメリア | |
2006 | Seven Days of Grace | ダナ | |
2006 | 私の婚活恋愛術 Love and Other Disasters | フェリシティ・リグス=ウェントワース | |
2006 | ダーク・エボリューション The Witches Hammer | マデリーン | |
2007 | Plot 7 | エマ・オスターマン | |
2016 | 素敵な遺産相続 Wild Oats | タミー |
テレビ
放送年 | 邦題 原題 | 役名 | 備考 |
---|---|---|---|
1967 | Out of Town Theatre | 女性 | 第7話 |
1967 | The Queen's Traitor | メアリー・ステュアート | テレビ映画 |
1968 | Playhouse | リサ・ウェンドル | 第46話 |
1968 | セイント 天国野郎 The Saint | ペニー | 第101話 |
1968 | The Jazz Age | シャーロット・トン | 第8話 |
1969 | Armchair Theatre | リンダ | 第388話 |
1969 | Public Eye | シャーリー・マーロウ | 第45話 |
1969 | The Distracted Preacher | リジー・ニューベリー | テレビ映画 |
1970 | Callan | ベス・ランプトン | 第28話 |
1970 | Sentimental Education | ロザネット | 第3話 |
1970 | 謎の円盤UFO UFO | サラ・ボサンケ | 第9話 |
1971-1972 | ITV Sunday Night Theatre | ジェニー・ドレイパー/アンナ・トレントン | 計2話に出演 |
1972 | 作家探偵ジェイソン・キング Jason King | コーラ・シンプソン | 第23話 |
1972 | Man at the Top | ポーラ・フレイザー | 計2話に出演 |
1973 | The Adventurer | コンテッサ・マリア | 第24話 |
1973 | プロテクター電光石火 The Protectors | クリシー | 第23話 |
1973 | Special Branch | スー・アーデン | 第36話 |
1973 | Jane Eyre | ブランチ・イングラム | 第3話 |
1973 | Ego House | アデーレ・ウーゴ | テレビ映画 |
1973-1974 | Marked Personal | ジョージナ・レイトン | 計62話に出演 |
1975 | Whodunnit? | ヘレン・ブレント | 第21話 |
1975 | Prometheus: The Life of Balzac | ファニー・ラヴェル | |
1976 | Hadleigh | スーザン・デブレイ | 第46話 |
1976 | Forget Me Not | ジャンヌ・テリオット | |
1978 | Rainbow | 特別ゲストナレーター | |
1979 | I vecchi e i giovani | ニコレッタ | 計4話に出演 |
1981-1982 | Tenko | ローズ・ミラー | 計19話に出演 |
1984 | Sorrell and Son | フローレンス・パルフリー | |
1984 | Hammer House of Mystery and Suspense | ローズマリー・リチャードソン | 第7話 |
1985 | Connie | コニー | 全13話に出演 |
1985-1987 | The Colbys | セイブル・コルビー | 全49話に出演 |
1985, 1988-1989 | ダイナスティ Dynasty | セイブル・コルビー | 計23話に出演 |
1986 | The Love Boat | エレイン・リスキン | 第246話 |
1987 | Napoleon and Josephine: A Love Story | テリース・タリアン | 全3話に出演 |
1988 | French and Saunders | ドリーナ・ペザーブリッジ | 第11話 |
1989-1990 | Sister Kate | ケイト・ランバート | 全19話に出演 |
1990 | Cluedo | ミセス・ピーコック | 計6話に出演 |
1990 | Lucky Chances | スーザン・マルティーノ・サンタンジェロ | |
1990 | The Lilac Bus | ジュディ | テレビ映画 |
1991, 1993-1994 | ビバリーヒルズ高校白書 Beverly Hills, 90210 | アイリス・マッケイ | 計8話に出演 |
1992 | Secrets | サビーナ・クォールズ | テレビ映画 |
1992 | To Be The Best | アラベラ | テレビ映画 |
1993 | 新スタートレック Star Trek: The Next Generation | バーソロミュー伯爵夫人 | 第138話 |
1993 | Foreign Affairs | ローズマリー・ラドリー | テレビ映画 |
1993 | Riders | モリー・カーター | テレビ映画 |
1993 | ブロッサム Blossom | ミセス・ロビンソン | 第63話 |
1993-1994 | シークエスト seaQuest DSV | ドクター・ウエストファレン | シーズン1の全23話に出演 |
1994 | 新・バークにまかせろ Burke's Law | ヴィクトリア・ランサー | 第12話 |
1994 | A Change of Place | マリー | テレビ映画 |
1995 | Legend | ヴェラ・スローター | 第1話 |
1995 | High Society | ステラ | 第8話 |
1996 | No Bananas | ドロシー・グラント | 全10話に出演 |
2000 | チャームド 〜魔女3姉妹〜 Charmed | マーサ・ヴァン・ルウェン | 第33話 |
2002 | Having It Off | ヴァーニス・グリーン | |
2003-2006 | Bad Girls | フィリダ・オズウィン | 計40話に出演 |
2006 | ニュー・トリックス〜退職デカの事件簿〜 New Tricks | ローダ・ウィショウ | 第20話 |
2009 | Free Agents | ウェンディ | 第6話 |
2009 | Coronation Street | マーサ・フレイザー | 計21話に出演 |
2010 | Material Girl | シルヴィー・モントローズ | 第6話 |
2010 | Casualty | モニカ・シャピロ | 第716話 |
2012 | Mount Pleasant | パムおばさん | 計3話に出演 |
2012 | Trollied | ロレイン | 計8話に出演 |
2013 | ミステリー in パラダイス Death in Paradise | ニコル・シーモア | 第9話 |
2014-2016 | Boomers | モーリーン | 全13話に出演 |
2017 | Bucket | パット | 計3話に出演 |
賞歴
年 | 賞 | 作品 | 部門 | 結果 |
---|---|---|---|---|
1986 | ソープオペラ・ダイジェスト賞 | コルビーズ The Colbys | 優秀悪女役賞 | ノミネート |
1988 | ソープオペラ・ダイジェスト賞 | コルビーズ The Colbys | 優秀悪女役賞 | ノミネート |
1990 | ソープオペラ・ダイジェスト賞 | ダイナスティ Dynasty | 主演女優賞 | ノミネート |
1990 | ゴールデングローブ賞 | シスター・ケイト Sister Kate | 女優賞(ミュージカル・コメディ部門) | ノミネート |
著書
- 『Many Lives』(2011年、Hay House) ISBN 978-1-84850-829-3
脚注
- ^ a b c Gilbert, Gerard (2012年9月1日). “Stephanie Beacham: 'I had to give up toy boys'”. The Independent (London) 2014年5月13日閲覧。none
- ^ a b c Barber, Richard (2007年1月28日). “Moroccan dynasty”. The Times (London) 2009年7月15日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “Stephanie Beacham Film Reference biography”. 2022年3月30日閲覧。
- ^ “Stephanie Beacham – Official Website (Bio)”. 2012年4月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月30日閲覧。
- ^ a b ANNA MATHESON (2022年3月4日). “OK! 独占インタビュー☆ステファニー・ビーチャム:「私にとっては“ただ普通の人生”を歩んでいるだけのことなの!」Vol.1”. OK! JAPAN. 2022年3月31日閲覧。
- ^ McLean, Gareth (2003年6月18日). “Living in the pink”. The Guardian (London) 2009年7月15日閲覧。
- ^ “The Colbys”. Soap Opera Digest (2019年10月19日). 2019年11月19日閲覧。
- ^ “Stephanie Beacham panto”. British Theatre Guide. 2022年3月30日閲覧。
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- ^ Tim Oglethorpe (2010年2月3日). “Celebrity Big Brother star Stephanie Beacham comes a cropper in her guest role in Casualty”. 2022年3月30日閲覧。
- ^ Beacham, Stephanie (2011). Many Lives, An Autobiography. London, UK: Hay House. ISBN 978-1848505957
- ^ “Fill in the Gaps: supporting older people with hearing and sight loss”. 2009年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月30日閲覧。
- ^ “BBC Radio 2 - Graham Norton, With guests Stephanie Beacham, plus Marilyn and Boy George”. BBC. 2022年3月30日閲覧。
- ^ “Stephanie Beacham to play Princess Margaret on stage” (2016年7月15日). 2022年3月30日閲覧。
- ^ Lindsay, Duncan (2021年2月26日). “New soap could be launched in the UK with all star cast including Stephanie Beacham”. Metro (DMG Media) 2022年3月30日閲覧。
- ^ Murphy, John. “Stephanie Beacham: She was born completely deaf in her right ear and with only 80% hearing in her left.”. Hidden Hearing's (Ireland) Blog. 2014年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月30日閲覧。
- ^ ANNA MATHESON (2022年3月8日). “OK! 独占インタビュー☆ステファニー・ビーチャム:「私にとっては“ただ普通の人生”を歩んでいるだけのことなの!」Vol.2”. OK! JAPAN. 2022年3月31日閲覧。
- ^ “A woman of substance”. ザ・スコッツマン (2004年6月27日). 2022年3月30日閲覧。
- ^ “Bowling maidens over: The love life of cricket superstar Imran Khan”. インディア・トゥデイ. Zahid Hussain (1995年6月15日). 2022年3月30日閲覧。
- ^ McGrath, Nick (2014年8月6日). “Stephanie Beacham: My skin cancer returned but deafness had a bigger impact on my life”. Daily Mirror. 2022年3月30日閲覧。
- ^ ANNA MATHESON (2022年3月11日). “OK! 独占インタビュー☆ステファニー・ビーチャム:「私にとっては“ただ普通の人生”を歩んでいるだけのことなの!」Vol.3”. OK! JAPAN. 2022年3月31日閲覧。
外部リンク[編集]
- 公式ウェブサイト
- ステファニー・ビーチャム - IMDb(英語)
- ステファニー・ビーチャム - インターネット・ブロードウェイ・データベース(英語)
- ステファニー・ビーチャム - オールムービー(英語)
- ステファニー・ビーチャム - allcinema
- ステファニー・ビーチャム - KINENOTE
- ステファニー・ビーチャム - Filmarks
- ステファニー・ビーチャム - Movie Walker
- ステファニー・ビーチャム - 映画.com
- ステファニー・ビーチャム (@ActorStephanieB) - Twitter
- ステファニー・ビーチャム (@TheStephanieBeacham) - Facebook
- ステファニー・ビーチャム (@the.stephanie.beacham) - Instagram
松岡正剛の千夜千冊
アメリカ人の「思考の現代史」というものがあるとすれば、その出発点を、一組のジェイムズ、すなわち兄のウィリアム・ジェイムズと弟のヘンリー・ジェイムズから説きおこすのは誘惑を禁じえない指し手のひとつだが、そんなことは誰かがとっくにやっていることだろうから、ここでは弟だけにふれておく。
ヘンリー・ジェイムズはフロイトより十三年早くアメリカに生まれている。それにもかかわらずフロイトの心理学を先取りしていた。人間の苦悩や恐怖や不安といった訳のわからぬものを、当時の研究者や文学者が「意識」とか「内面」とか「心理」といった言葉で説明できなかったとき、ヘンリーはその内面の動きだけを描き出す方法を発見していた。
そういう方法がありうることは、当時はわずかに民族心理学のヴントが文化の意識の流れとしては気がついていたかもしれないものの(それは柳田國男が『遠野物語』でひとつの村の意識の伝承を語れるという方法を発見したことに似ているが)、まさか個人の意識をひとつながりに取り出せる方法があるとは、誰も思いついてはいなかった。
このため『ねじの回転』や長編『鳩の翼』(講談社文芸文庫)や、それに先立って書かれた『小説の技法』(国書刊行会「作品集」8)は、ジョイスの『ユリシーズ』(集英社文庫)、プルーストの『失われた時を求めて』(岩波文庫)をはじめ、カフカ、ヴァージニア・ウルフ、フォークナーらの先駆的作品として君臨し、それによっていわゆる「意識の流れ」(stream of consciousness)の文学系譜が発端したということになる……のだが、さて、こういう文学史的な解説ほどつまらないものはない。
諸君もきっとそうだろうが、ぼくもそういう現代文学史を若い頃から十本も二十本も読まされてきて、ほとほとうんざりとしてきたものだ。そんな説明を何度も聞かされるよりは、たとえば一九九七年に公開された映画《鳩の翼》で、作家のヘンリーが文章にしなかった動向を大胆に視覚化してしまったイギリスの監督イアン・ソフトリーの手腕をこそ褒めるべきだ。学ぶべきだ。ヘンリー・ジェイムズの「意識の流れ」の解説は、あの映画一本でみごとに裏取りされていた。
もともと『ねじの回転』はいくつもの仕掛けのうえに成り立っている。舞台はイギリスのゴシック・ロマンの伝統を踏襲した郊外の屋敷である。エミリー・ブロンテの『嵐が丘』(岩波文庫)と同じといってよい。語り手は天使よりもかわいい幼い子供たち(兄と妹)の学習生活の面倒をみることになった貧しい女性の家庭教師で、物語の全体は二十歳くらいの「わたし」の一人語りになっている。
この「わたし」は子供たちの伯父と面談をして家庭教師を引き受けるのだが、伯父に淡い恋心を抱いたらしい。幼い兄妹(マイルズとフローラ)は両親が亡くなったので伯父が引きとっていた。
これが主な伏線である。伏線ではあるけれど、そこがヘンリー・ジェイムズの手なのだが、この淡い恋心はときに伏線のようにも見えてくるというだけであって、筋書き上にはほとんどあらわれない。語り手の意識の背景に(それが意識の流れというものだが)、そういう奥の気持ちがひょっとしたら動いているかもしれないというだけなのだ。
事件はおこらないとも、おこったともいえる。おこったとすれば、その屋敷に幽霊が出たらしい。それも二人、出た。しかしほんとうに出たのかどうかは、最後までわからない。幽霊の一人は家庭教師がかつて雇われていた館の従者、もう一人は子供たちの前任の家庭教師である。後者のほうは、どうも「わたし」の分身にも見える。
この忌まわしい幽霊たちは子供の魂を奪おうとしているとおぼしい。なにやら邪悪なのである。ヘンリー・ジェイムズも「最も邪悪な精神を描くために幽霊を出すことにした」と書いているように、この幽霊の恐怖は全篇に不気味な影を落としている。けれども、なぜこんな幽霊が出るのかは「わたし」にはまったく見当がつかない。ただ彼女はなんとか邪悪な幽霊たちから子供たちを守りきろうと決意する。そのため幽霊が出る背景の事情を、屋敷にながく勤めている女中頭のグロース夫人からさまざま聞き出し、作戦を練る。
ところが、ここから何かが怪しくなるのだが、「わたし」が幽霊から子供たちを守ろうとすればするほど、子供たちは幽霊に怯えることになる。「わたし」は信用をなくしていく。なぜなら、幽霊を見るのは「わたし」だけであるからだ……。
こうなってくると、いったい幽霊はほんとうに出ているのかどうかさえはっきりしなくなる。幽霊が出る原因もありそうだ。読者はやむなくグロース夫人の“証言”によってそちらのほうに引っ張られていく。そして、ただものすごい恐怖感だけが作品に広がっていく。
そのため「わたし」はしだいに追いつめられて、たった一人で幽霊との対決をせざるをえない。もっと怖いのはそのように追いつめられてみると、「わたし」には子供たちが幽霊とぐるになっているようにも見えてくることだった。それだけではなくもっと恐ろしいことに、自分自身が幽霊を恐れるあまりに、その恐れている当のものと同類になっていくことを感じはじめたことだった。なぜ、こんなふうになってしまったのか。ひょっとしたら、幽霊は「わたし」の妄想であって、むしろ「わたし」こそが幽霊なのかもしれない。
かくてふと気がつくと、ネジは「わたし」の何かに食いこむばかりであって、もはや意識はのっぴきならないものになっていた。ということは、この物語を読むわれわれ全員がネジとともに何かに向かって食いこまれてばかりになっていくということなのである……。
ジェイムズ兄弟の父親は神秘主義に傾倒していた。スウェデンボルグの研究者であって、哲人だった。当時はイギリスを筆頭に、心霊主義運動ともいうべき交霊術が大流行していた。ジャネット・オッペンハイムの『英国心霊主義の抬頭』(工作舎)を読まれたい。父親はまたラルフ・エマソンやヘンリー・ソローとも昵懇だった。
兄のウィリアム・ジェイムズはハーバード大学の哲学教授で、いわゆる「プラグマティズム」の創案者である。兄は父親の世界観を実証しようとした。とくにアブダクション理論のチャールズ・パースと昵懇だった。このような父と兄のもと、ヘンリー・ジェイムズはこれらの“研究”に意識的な傍観者たらざるをえなかった。
ぼくは、ヘンリー・ジェイムズが「ヨーロッパをさまようアメリカ人」という、いわゆる“パリのアメリカ人”というその後の文学や映画の大きな主題になったしくみをつくったことに関心をもっている。実際にも、ヘンリーはパリやロンドンにいた一八七五年前後に、フローベール、モーパッサン、ゾラ、ドーデ、ツルゲーネフ、ゴンクール兄弟らのサロンに親しく交わっていた。そこでヘンリーはアメリカ人を鏡の裏側から見るという方法を発見した。
この方法で書かれた小説やエッセイを普通のイギリス人やアメリカ人の目が読むとなると、そこが名作『デイジー・ミラー』(岩波文庫)の独壇場ともなるのだが、われわれが想像する“欧―米”ではない異なる世界観が見えてくる。これこそは、当時の読者が「あれっ、これは意識の中を覗いているのか」と驚くことになったヘンリー・ジェイムズの魔術そのものであった。
が、まあ、今夜はそういうことはやかましく言わないでおくことにする。加えて余談になるが、はたしてヘンリー・ジェイムズの影響なのかどうかは知らないが、つげ義春の「ねじ式」というのも、そのネジのことだったのかどうかということも、ここでは暗合の外においておくことにする。
ともかくも『ねじの回転』はジョイスともプルーストとも関係がない傑作であって、もし何かの先駆者と言いたいのなら、むしろ正体不明の恐怖を文明の奥に見据えたジョゼフ・コンラッドの先行者だったのである。
ねじの回転
光文社
セクシュアリティに関わることを口にするのはヴィクトリア朝社会では禁忌であったために、小説内ではっきりと言及されることはないが、女中頭のグロースさんが口ごもりながらもほのめかすところから推測されるのは、前任の女性家庭教師ジェスル先生が、中産階級のレディであるにもかかわらず、下の「卑しい」階級に属するクイントと性的な関係にあり、妊娠をした末に屋敷を去って死んだという、身分の違う者同士のセックス・スキャンダルがあったこと、そして、クイントは、マイルズという子どもにたいしてもどうやら「やりたい放題」であったことである(屋敷の主がクイントの存在を容認していたことも重要である)。
主人公の女性家庭教師は、中産階級のレディとして、そのように規範を幾重にも侵犯するセックス・スキャンダルに驚愕してみせ、無垢で美しい存在であるはずのマイルズやフローラを自分の力でクイントの亡霊から守らなければならないと責任感をみなぎらせるが、同時に彼女は、マイルズやフローラの美しさに自分自身でも魅惑され、意識してか無意識か、フローラやグロースさんとの同性愛の可能性をも思わせる〈触れあい〉にやや過剰な喜びをあらわしている。これは、世俗的に言うならば、〈嫁き遅れ〉の女性家庭教師が内面に抱える性的欲求不満の逸脱的なあらわれと考えられる。しかし重要なのは、このような従来の〈常識〉から大きく外れたセクシュアリティのありようにたいする関心が異様に高まったのが、オスカー・ワイルドの同性愛裁判もあった十九世紀末という時代であったことである。
じじつ、オーストリアの精神分析医ジークムント・フロイト(一八五六~一九三九)が、ヒステリー患者などの臨床経験を通じて、人間の行動には無意識的な要素が作用しており、理性的な〈意識〉の世界の深層に横たわる〈無意識〉と呼ばれる未開の領域には、性にまつわることが抑圧されているとの理論を発表したのが十九世紀末であった。そして、フロイトの理論でもうひとつ重要なのが、子どもという〈無垢〉であると見なされてきた存在にもセクシュアリティがあるという〈発見〉であった。しかも、フロイトの議論には、幼児には、同性愛だけでなく、さまざまなセクシュアリティへの発展の可能性もあると解釈できる余地があった。
このフロイトの言説と同時代の『ねじの回転』は、亡霊によって子どもの逸脱的なセクシュアリティの可能性がほのめかされる小説であったからこそ、異性愛的な規範とともに〈無垢〉な子どもの概念が支配的であったヴィクトリア朝社会から、「魂が汚される邪悪な物語」、「英語で書かれたもっとも忌まわしい物語」といったヒステリー的な反応を引きだしたのだろう。また、主人公の女性家庭教師は、ヴィクトリア朝の性的規範を内面化している中産階級のレディとして──あるいは自身の内面にその性的規範を逸脱する要素があることを薄々ながら認識しているからこそ──、そのような危険な可能性を孕むマイルズという存在を、否認するため抹殺しなければならない。言い換えれば、ピーター・クイントの亡霊をめぐるスキャンダルの数々は、十九世紀末のヴィクトリア朝社会が取り憑かれつつ抑圧していたさまざまなセクシュアリティのありようを暗示しているのであり、同性愛のテーマに深い関心を寄せていたジェイムズは、それを人間の内側にある、他者から見ても、本人にとっても、捉えがたく認識しがたい、パニック的作用を誘発する〈なにか〉として表象することに成功していると言える。
もちろん、『ねじの回転』の亡霊の形象が暗示するのは、逸脱的なセクシュアリティの存在だけではない。下層階級に属するピーター・クイントの「赤毛」が、アイルランド人のステレオタイプ的特徴としてよく用いられるものであり、当時アイルランドがイギリス帝国の半植民地状態にあったことを考えるとき、この小説の設定にイギリス帝国の問題が暗示されていることに気づく。じじつ、マイルズとフローラの父親はインドで軍人をしていて、ふたりの両親はインドで亡くなったとされている。そして、マイルズとフローラの伯父、つまり女性家庭教師の雇い主である英国紳士は、長子として、イングランド東部のエセックスにある先祖伝来のカントリーハウスであるブライや、ロンドンのハーリー通りにある「旅の記念品やら狩りの成果やらに埋もれた」大邸宅を相続し、孤児になったふたりの後見人を引き受けていることになっている。この設定を見るかぎり、植民地の富を略奪してイギリスに持ち帰ってきたイギリス帝国の影がブライの境界をちらちらと揺れていることは否定できないだろう。
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