2023年12月12日火曜日

次郎長三国志 第八部 海道一の暴れん坊 : 作品情報 - 映画.com 川合玉江

次郎長三国志 第八部 海道一の暴れん坊 : 作品情報 - 映画.com
 
 
steward
⁦‪@stewardtokyo‬⁩
川合玉江さんは「次郎長三国志 街道一の暴れん坊」(1954)で森繁久彌の石松に買われる女郎夕顔を演じているが、昨晩「次郎長三国志: マキノ雅弘の世界」を読み直して、1972年のインタヴューでマキノ監督、訊き手の山田宏一氏が高く川合さんを評価しているのに気づいた。「美しい、うるんだ眼の女」。 pic.twitter.com/X2pbwKOCBA
 
2021/06/10 9:45
 
 
:ゴジラ


:次郎長三国志8(1954年)




:9

映画渡世 天



川合玉江

川合 玉江(かわい たまえ、生年不詳 - 2004年頃)は、日本の元女優である[1]。後年は川合 玉枝(読み同じ)を名乗った。夫は映画監督日高繁明[1]

来歴・人物

正確な生年月日は不明だが、静岡県御殿場市に生まれる[1]。両親は同市にあるホテル御殿場館(現在のTHE GOTEMBAKAN)を経営していたという[1]

女学校を卒業後、黒澤明池部良の推薦で第1期東宝ニューフェイス東宝に入社[1]。同期に久我美子若山セツ子らがいた。1953年(昭和28年)7月8日に公開された清水宏監督映画『都会の横顔』で映画デビューを果たし、以後、ジャンルを問わず多くの作品に出演。中でも、同年12月8日に公開された谷口千吉監督映画『赤線基地』では、同じく東宝の専属俳優だった三國連太郎と共に大役に抜擢された[1]。その後、日活に移籍するが、東宝で映画監督を勤めていた日高繁明と結婚したのを機に芸能界を引退[1]。1957年(昭和30年)1月15日公開の春原政久監督映画『フランキー・ブーちゃんのあゝ軍艦旗』が最後の出演作品となった。

詳細な没年月日は不明だが、玉江の実姉である川合八千代がインタビューの中で「妹はもう亡くなって10年になるでしょうか」と証言しており、2004年頃に死去したものと思われる[1]

出演作品

東宝

全て製作・配給は「東宝」、特筆以外は全て「川合玉江」名義である。

日活

全て製作・配給は「日活」、特筆以外は全て「川合玉枝」名義である。

出典

  1. a b c d e f g h 『別冊映画秘宝 初代ゴジラ研究読本』洋泉社(洋泉社MOOK)、2014年、105頁・110頁。

外部リンク


次郎長三国志 第八部 海道一の暴れん坊

「次郎長三国志 第七部 初祝い清水港」に次ぐ次郎長三国志第八部。"オール読物"連載の村上元三の原作より、小川信昭、仲原俊哉が共同脚色し、「ごひいき六花撰 素ッ飛び男」のマキノ雅弘が監督している。撮影も「ごひいき六花撰 素ッ飛び男」の飯村正。出演者は前作と略々同じであるが、今回は「七人の侍」の志村喬、「風立ちぬ(1954)」の青山京子、「赤線基地」でデビューした川合玉江などが新しく出演する。

清水一家は次郎長女房お蝶と豚松の法事の日。百姓姿の身受山鎌太郎が受付に五両置いたのを石松は二十五両と本堂に張り出した。さて読経の声もたけなわ、死んだ豚松の母親や許婚お静が来て泣きわめく。鎌太郎の諌言までもなく次郎長は深く心打たれていた。法事を終えた次郎長は愛刀を讃岐の金比羅様へ納める事になり、選ばれた石松は一同心ずくしの八両二分を懐に旅の空へ出た。途中、知り合った浜松の政五郎にすっかりノロけられた石松は金比羅様に刀を納めると、その侭色街に足を向けて、とある一軒の店へ入った。夕顔というその女の濡れた瞳に惚れた石松は八両二分をはたいて暫く逗留、別れ際には手紙迄貰って讃岐を去った。近江で立寄った身受山鎌太郎は先の二十五両を石松に渡して義理を果し、石松の落した夕顔の手紙に同情して、夕顔を身受して石松の女房にする事を約した。しかし東海道を急ぐ石松は幼馴染の小松村七五郎お園夫婦の許に寄る途中、草鞋を脱いだ都田村吉兵衛に貸した二十五両がもとで、騙討をかけられ、偶然会った政五郎に見とられながら死んだ。石松の死を知った次郎長一家が東海道を西に急ぐ頃、清水へ向う二人、それは鎌太郎と身受けされた夕顔であった。

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