2021年8月23日月曜日

尊徳の後継~福住正兄と湯本湯本 [教えを受けた仕法の活用者] - 二宮尊徳 | 古地図 歴史 観光 神奈川県 小田原市 ツナガルマップ

尊徳の後継~福住正兄と湯本湯本 [教えを受けた仕法の活用者] - 二宮尊徳 | 古地図 歴史 観光 神奈川県 小田原市 ツナガルマップ




秘湯ロマン 出口亜梨沙

旅館・萬翠楼福住
一円融合は二宮尊徳の思想を反映
森鴎外の「青年」の舞台

尊徳の後継~福住正兄と湯本湯本 [教えを受けた仕法の活用者] - 二宮尊徳 | 古地図 歴史 観光 神奈川県 小田原市 ツナガルマップ

1845年(弘化2)に尊徳に入門した大沢政吉(のち、福住正兄・まさえ)は、入門後5年にして、尊徳の元を辞して、親戚筋である福住家に養子に入ります。その頃福住家は失火から家業は衰退し、その立て直しのために政吉は養子となります。分度・推譲といった報徳仕法の実践に努めた正兄は、それまでに報徳仕法で得た再建ノウハウを駆使し、わずか1年で福住家を再建します。
加えて家業発展とともに、福澤諭吉の「箱根普請の相談」の影響もあって、後に観光地としての箱根の礎となるべき様々な事業に乗り出しました。1875年(明治8年)には小田原~湯本間の近代的な道路設置工事に着手し、1882年(明治15)には道路の完成により、小田原~湯本間で馬車、人力車の往来を可能としました。
さらに1887年(明治20年)、有志6名と共に神奈川県に国府津~湯本間の馬車鉄道敷設嘆願書を提出し、翌1888年明治21年、国府津~湯本間の馬車鉄道開通します。
なお福住家は、現在も箱根湯本で営む旅館・萬翠楼福住です。森鴎外の「青年」の舞台にもなっています。



iPhoneから送信

0 件のコメント:

コメントを投稿